ラフロイグ蒸溜所 ラフロイグとアイラモルトの立役者ベッシー / 中野 Whisky Burgers

ラフロイグ

 

スコッチ好きなら誰もが知るといっても過言ではない蒸留所。

本日は「ラフロイグ蒸留所」をご紹介いたします。

ラフロイグの設立は1815年、ジョンストン兄弟によって作られた蒸溜所。
グレンリベット蒸留所が政府公認となった1824年の2年後、1826年にラフロイグ蒸留所も政府公認となります。

ここで少々語りたのが、ベッシーと呼ばれるある人物。
「ウィリアムソン」と言うとピンとくる方もいらっしゃるかもしれませんね。

ベッシーはエリザベス・ウィリアムソンという女性のこと。
1990年グラスゴー生まれ、優秀な方だったらしくグラスゴー大学の修士課程を1923年に卒業し、その後も歴史、地質学、薬学などを学んでいたらしく教師になることが夢だったとか。

当時は大学を卒業している女性が職につくことは難しかったらしく、短期間アルバイトのつもりで働いたのがラフロイグ蒸留所だったそう。
ここで運命の出会いを果たします。

この頃ラフロイグ蒸留所を経営していたのは創設者の末裔であるイアン・ハンター氏。
彼はアメリカ留学の経験があり、そこで学んだマーケティング理論に基づいた経営を始め、それまではブレンデッド用のみを生産していましたがシングルモルトの販売スタート。
ここでラガヴーリン蒸留所と揉めていたようですが、それはまた今後詳しく。

さて話を戻すと。
イアン氏の奥様が産休に入っていたらしく、その代わりとして雇われていたのがベッシーだったというわけです。
イアン氏はベッシーの才能にいち早く気づいたそうで、ウイスキー造りやマーケティング、禁酒法解禁後のアメリカのマーケティングまでを任せました。

その後イアン氏は1945年に亡くなり、その後のラフロイグ蒸留所はベッシーに託されました。
ベッシーはアイラ島で初の女性の蒸留所オーナーとなったのです。

アルバイトで雇われたベッシーは、その後亡くなるまでアイラ島に住み続けたそう。
その間に成し遂げたことはたくさん。

「ラフロイグのファーストレディ、中興の祖」として今となってはラフロイグといえばと言われるような事、フロアモルティングをし続けること、そしてアメリカンホワイトオークのバーボンバレルの樽しか使用しないことなどをベッシーが決めたそう。

そしてアメリカには「アメリカ特使」として渡り、ラフロイグだけではなくアイラモルト全体を宣伝して回っていました。
それによりベッシーはアメリカにアイラモルトを広めた人としても認知されています。

この功績を讃えてラフロイグのボトラーズウイスキーにはベッシーの名前であるエリザベス・ウィリアムソンから取って「Williamson ウィリアムソン」と名付けられることが多くあります。

ぜひこの名の付いたウイスキーを見かけた時には、彼女のことを思い出してみてくださいね。

 

Chikako Matsuo 松尾 知可子

Whisky Burgers Bar
中野/東京都中野区中野2-30-8 立川ビルB1
03-5340-5808
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