スコッチウイスキーの聖地・アイラ島について / 吉祥寺 Vision

アイラ

スコッチウイスキーの中でも特に癖の強いウイスキーを作っており、スコッチウイスキーの聖地とされるアイラ島。
その歴史について書いていきたいと思います。

 

1. アイラ島とは?

アイラ島は、グレートブリテン島とアイルランド島の中間あたりにあります。
スコットランドを中心に見ても、スコットランドとアイルランドの中間あたりにあり、スコットランドの南西に位置し、スコットランドの西側に点在するアウター・ヘブリディーズ諸島、インナー・ヘブリディーズ諸島の、インナー・ヘブリディーズ諸島の一番南にする小さい島です。
面積は620平方キロメートルで、淡路島より少し大きいくらい言われます。

 

2. ヘブリティーズとアイラの名前の由来

ヘブリディーズと言う言葉は、ヴァイキングの言葉で「地の果て」を意味する言葉です。
また、アイラ島という名前の由来は諸説あるのですが、デーン人(ヴァイキング)の姫のイラに由来するという説があり、語尾のayは「島」を意味する言葉から、「イラ姫の島」とでもいいましょうか。
名前の由来からも分かる通り、ヴァイキングの影響を大きく受けている地域でもあります。

 

3. アイラ島の人々

人口は3400人。
産業革命以前は2万人くらいいたと言われているのですが、都会への人口流出が激しくここまで減ってしまいました。
3400人のうち、ウイスキー産業に関わる人は約200人。
主要産業がモルトウイスキーの蒸留と、蒸留所見学を目的とした観光ということなので、島民のほとんどの人がウイスキー産業と何かしらの関係を持っていると言ってもいいと思います。

 

4. アイラ島の中心

アイラ島の中心地はボウモア蒸留所のあるキラロウ教区教会周辺です。
街の中心には教会があり、ラウンドチャーチと言われる丸く見渡しの効く形式となっています。
これは「悪魔が隠れる場所をなくす」という意味があると言われていますが、いろいろ調べたところ、一節によると「ミサのあと献金をせずに帰る人を逃さないために見渡しが効くようにしてある」という説もあります。
アイラ島は島という性質のため、物資が乏しく、特にケチな人が多いと言われます。なので、壊れたものは大事に修理して使う風習があるそうですが、こういうところにもケチな性質が出ているのかもしれません。

アイラ島に行くには、本土からフェリーで、ポートエレン、ポートアスケイグという港に行くか、空港があるので空路で行くかのどちらかになります。

 

5. アイラ島の歴史

ヴァイキング

アイラ島に人が住み始めたのは今から1万年前の中石器時代とされています。
ただし、現在のアイラ島の先祖となる民族は、鉄器時代のケルト民族で、多分あとから来たケルト民族が制圧したのでしょう。
最初、ケルト民族の一派のピクト族が定住、その後アイルランドから渡ってきたゲール族(こちらもケルト民族の一派)が定住、ゲール族が支配します。

9世紀になると、北欧から来たヴァイキングがゲール族を支配し、ヴァイキングとゲール族の混血が始まります。現在のアイラ島民もヴァイキングの血が流れています。
この頃、ヴァイキングは北欧、グレートブリテン島周辺に大きな影響を与えており、船で移動して制圧していくスタイルから島や海岸部に特に影響がありました。アイラ島の地名はヴァイキング由来のものが3割位あるの言われます。

さて、200年ほど時代は進み、その間に混血もあり、オリジナルのヴァイキングとは少し違う支配層が出てきます。
サマーレッドという、スコットランド本土のアーガイル地方を拠点とした豪族で、スコットランドのダルリアダ王国の王族の血を引く父親と、北欧ノルウェーの貴族を母親に持つ人物が、ヴァイキングと対立。
1156年にアイラ海戦によりヴァイキング軍に勝利して、インナーヘブリディーズ諸島の覇権を握ります。
ノルウェーもヴァイキングなので、スコットランドとヴァイキングの混血の豪族がヴァイキングと対立し、打ち負かした形になります。
ちなみにこのアイラ海戦では、ヴァイキングが外洋向けの大型船で攻めてきたのに対し、サマーレッドは近海の小島を移動する目的の小型船を大量に配備し、小回りを効かせて翻弄したと言われます。後の時代のスペイン無敵艦隊とイギリスの戦いのアルマダ海戦を彷彿とさせます。

サマーレッドの子孫はその後もアイラ島を代々支配し続け、その中でも13世紀のアンガス・モーがインナーヘブリディーズ全島とアウターヘブリディーズの多くの島を支配下に置き、スコットランド王国とは別に半独立国家を樹立。
その中心地としてアイラ島があり、アイラ島のフィンラーガン湖の人工島に王宮とチャペルを作り、周辺ににらみを効かせていました。
さらにアンガスモーの息子のアンガスオグは北アイルランドとスコットランド北部も版図に加え、1314年のバノックバーンの戦いでスコットランド王 ロバート・ザ・ブルースを支持、イングランドに勝利したことから、「ロード・オブ・ジ・アイルズ」の称号を得ます。
このように、アイラ島はスコットランドとは半独立を保ちつつ、スコットランドをサポートする形で独自性を持った文化が形成されていきます。

しかし、1493年にスコットランド王ジェームズ4世がアイラ島に攻め入り、当時のアイラ島の王 ジョン2世を捕らえ、ベイズリー修道院で獄死させます。これによりサマーレッドから続く半独立国家が終わり、正式にスコットランドの一部となります。
その翌年の1494年、スコッチウイスキー元年と言われる記録となる、「ジョンコーが王命により8ボルの麦芽からアクアヴィテ(ウイスキー)を作った」という王室財務省記録が残されます。

 

6. アイラウイスキーの歴史

アイラ島では1493年以前からウイスキーの原型となるものが作られていたと思われます。
蒸留技術がアイルランドを経由してスコットランドに上陸したのが12世紀くらいと言われている中で、スコットランドでもすでにウイスキーのようなものが作られていたと思われますが、アイラ島で作られているウイスキーの技術をジェームズ4世が持ち帰り、スコットランドに取り入れたとも考えられるタイミングです。

その後、アイラ島はスコットランドの支配下に置かれますが、歴史的にはあまり表立って出てくることはありません。
現存しているアイラ島の蒸留所で最古のものは1779年創業のボウモア蒸留所で、その後現在に至るまで合計11の蒸留所が建ち、2個の蒸留所が閉鎖。
数年前からのウイスキーブームから、現在も建設計画がいくつか進行中です。

アイラ島の各蒸留所はまた別途ご案内いたします。

 

Wataru Kobayashi  小林渉

Vision  Whisky bar 吉祥寺
0422-20-2023
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