泡盛 / 赤坂見附 Algernon Syn.

昨年のアワモリカクテルコンペティションから間もなく丸一年です。

思い返せば、カクテルコンペティション漬けの毎日の始まりは
あのアワモリカクテルコンペティション。

初めて賞を頂き、有頂天だったのを覚えています。
本当昨日のことのよう。あっという間でした。

さて、今年のアワモリカクテルコンペティションは、後輩2人が出場予定!
渾身の一杯を沖縄で披露してくれるはずです(^^)

というわけで、泡盛のルーツや歴史なんて調べてみちゃおうかと思います。
自分か出場するときに調べておけよって話なのですが。笑

 

ひと昔前まで、「泡盛のルーツはタイ。
15世紀ごろに沖縄にその製法が伝わった」という説が一般的でした。

これは、沖縄の歴史研究家である東恩納寛惇氏が、1933年にタイを訪れ、
地酒であるラオ・ロンを飲んで、「泡盛とまったく同じだ」と言い、
翌年「泡盛雑考」を発表したことが発端となっているようです。

しかし、15世紀ごろの琉球はタイのほかにも東南アジア諸国との交易も行っており、
マラッカ産の酒を琉球の商人が大量に購入していたという見聞録もあることから、
タイのラオ・ロン起源説は、むしろ広く東南アジアルートとして考えるのが
妥当だろうという声もあがっています。

さらに、1990年代に新たに注目を集めたのが、中国・福建ルート説。

これは、1993年に沖縄タイムス社のメンバーが
泡盛のルーツを求めてアジア各国で行った調査がきっかけとなりました。

この調査により琉球王朝時代に交易で互いに密接に行き来していた
福建を中心とする中国西南地域でも米を原料にする酒造りが行われていること、
福建・福州には、沖縄を始め、アジア各国に見られる
「泡を持って酒の出来を判断する習慣」が見られたこと、
蒸留する段階で、初留、中留、後留に分類するなど
泡盛との類似性が見られることなどが分かっています。

このことから、14世紀以降中国と親しく交易してきた琉球の歴史の中で、
酒造りの技法も伝わったであろうと推測されるとしたのです。

しかし、中国・福建ルート説は、これまでのタイ源流説を否定するものではないとの声も。

「タイやマラッカなど東南アジアから蒸留酒が伝来したことも事実なら、
福建ルートからも蒸留酒が渡ってきたのも十分に考えられる。
蒸留酒の伝来は多面的かつ重層的である」と。

つまり、東南アジアルート、福建ルート、この2つの道を通って、
琉球に蒸留酒を造る技術は伝わってきたと、現在では考えられています。

泡盛は15世紀末、1400年代後半にはすでに琉球で造られていたと考えられ、
約600年の歴史があると言われています。

残念ながら、琉球王国の史書に泡盛の始まりを示す文書は
まだ見つかっていないようですが、薩摩の島津家に残る1575年の記録に、
琉球から届けられた泡盛らしき酒の記述があります。

当時琉球は、「あや船」という交易船で薩摩と交易していました。

その年の使者が「60年前のあや船のときと同じ贈り物を持ってきました」と語り、
唐焼酎一甕、老酒一甕、焼酎一甕を携えていたというのです。

前のふたつは中国の酒ですから、最後の焼酎が泡盛だった可能性は非常に高いと思われます。

ちょっとややこしいのですが、1575年に「60年前と同じように」
と言っていることから、1515年にも焼酎(泡盛)を贈っていたのです。

つまり、その当時には贈答品に用いられるほど琉球での蒸留酒造りは
確立されていたわけですから、泡盛づくりは1400年代後半、
15世紀末には始まっていたと推定されます。

これが、泡盛の歴史は約600年という根拠にもなっているのです。

又、朝鮮王朝実録の記録では、約500年前から蒸留酒を古酒にして飲む
という習慣があったと記されており、これらのお酒が外国のお酒だったとしても、
その習慣が泡盛の古酒文化につながったであろうことは間違いないと思われます。

500年前から古酒にして酒を楽しむ文化があったということは、驚きですよね(・_・!!

さて、最後は『泡盛』という名称について。

沖縄の方言で、泡盛のことを「サキ」といいます。

地元の人間にとって、酒といえば、泡盛だったわけで、
ほかの名称は必要なかったのかもしれません。

では、いったいいつごろから「泡盛」という名称が付けられたのでしょうか。

実は、「泡盛」という名称の登場はそれほど古くなく、1671年のこと。

その年に琉球王国の尚貞王から四代目将軍徳川家綱へ贈られた献上品の目録に
「泡盛」の記録があり、それが「泡盛」という名称の初お目見えだと言われています。

それまでも、幕府への献上品として、琉球王国から泡盛がたびたび贈られていたのですが、1671年以前は、「焼酒」や「焼酎」と表記されていました。

では、なぜ「泡盛」という名前が付けられたか?

実は、その真相は明らかではなく、次に挙げた4つの説がこれまでに唱えられています。

1.粟説

沖縄の歴史学者、伊波普猷(いは ふゆう)氏は、泡盛の原料に
米と粟を使ったことに触れ、粟で蒸留酒を造ったことから、
粟盛り→泡盛になったと説明しています。
他にも、粟説を唱える1700年代の文献もあります。

2.サンスクリット語説

古代インド語のサンスクリット語で、酒のことをアワムリというそうです。
それが伝来して泡盛になったとう説。

3.薩摩命名説

薩摩藩が、徳川幕府への献上品として酒を贈る際、
九州の焼酎と区別するために「泡盛」という名前をつけた、という説。

4.泡説

昔、蒸留仕立ての酒は、泡を立ててみることで
出来がいいかどうかを調べたのだそうです。

その方法は、片手に茶碗や猪口を持ち、もう片手で酒を数十センチ上から
その器にゆっくり落としていき、泡立ち具合を見るというもの。

良い出来具合であればあるほど、細かい泡が盛り上がり、
泡が消えるまでの時間も長かったとか。
このような習慣から、泡を盛る、泡盛という名前が付けられたという説。

酒の善し悪しを調べるために泡を盛る習慣がアジア各地に見られることから、
“泡説”がもっとも妥当だと考えられています。

予想はしていましたが、長い長い泡盛の歴史。

ブログもやはり長々してしまいました。T^Tすみません。
もともと歴史が苦手な私の書く文章が伝わりにくかったら本当すみません。笑

今や、カクテルに使用されるために作られたであろう洋風のボトルも発売されており、
Barにとっても身近な存在となっています。

歴史ある、沖縄伝統の酒を使って、東京の若者2人が
沖縄で素晴らしいカクテルを作ってくれることを願っています。(^^)

みなさま、ご声援よろしくお願いします!

 

Takayo Mano