スコッチウイスキーの基本 スコットランドの地理と歴史 / 吉祥寺 Vision

スコッチウイスキー

改めて、自分なりにウイスキーを説明記事を書いてみようという気持ちになりまして、「スコッチウイスキーとは」という大きなテーマで書いてみようと思います。

 

 

1. ウイスキーとは?

ウイスキーは、穀物を原材料に糖化、発酵、蒸留を行い、樽熟成をさせてできるお酒のことです。
原材料となる穀物は、大麦、小麦、ライ麦、とうもろこしなどが使われることが多く、原材料により呼ばれ方が少しずつ変わります。
ちなみに変わり種の原材料としては、オーツ麦や、そば麦が使われているウイスキーがあったりします。

 

2. スコッチウイスキーとは?

スコットランドで製造されているウイスキーのことです。
スコットランドでは、大麦を発芽させて麦芽にしたものを使用し、単式蒸留器で蒸留したものを「モルトウイスキー」、大麦麦芽以外の穀物を使用したもの、連続式蒸留機で蒸留したものを「グレーンウイスキー」と呼びます。
そしてそれらをブレンドしたものを「ブレンデッドウイスキー」と呼びます。

 

3. スコットランドという国

スコットランドは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(UK)に属する国の一つ、グレートブリテン島の北、つまりイングランドの北にあります。
UK は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国で構成されています。
1707年にイングランドに併合されましたが、1999年にスコットランド自治議会が再開され、立法権を復活させました。
2014年9月には、スコットランド独立を問う国民投票が実施されましたが、反対票が55%を占め、独立は否決されました。
蒸気のようにスコットランドはUKからの独立を狙っていますが、これにはイングランドとスコットランドの古くからの対立に起因します。
スコットランドはイングランドと比較して人口10分の1。国力も弱く、そのためイングランドから度々攻められそれをなんとか押し返すというのを繰り返していました。
1707年にイングランドに併合されたタイミングでスコットランドの自治権が消滅したことにより、属国扱いになったことから独立の意識が芽生え、それが現在にも繋がっています。
しかし、スコットランドはUKから独立すると国力の弱さから自力で国を維持できないという実情もあり、それが国民投票の結果に出た形となります。

 

4. スコットランドの地理

現在、スコッチウイスキーを語る上で、スコットランドという国を6つの地域に分類しています。
・ハイランド
・ローランド
・スペイサイド
・キャンベルタウン
・アイラ
・アイランズ
です。
それぞれの地域で、その地域独特の味のウイスキーを作っている蒸留所もあれば、そうでない味をわざと作っている蒸留所もあります。
また、最近はハイランドが地域が大きすぎるということで、東西南北に分けたり、スペイサイドに多くの蒸留所が集まっていることから、スペイサイドの中をエリア分けするという分類も出てきています。
また、首都はエジンバラですが、人口が最も多いのはグラスゴーです。どちらもローランドに位置しており、ローランドはイングランドという更に人が多い都会に近いということもあり交通の便もよく人が集まりやすい場所となっています。

 

5. スコットランドの歴史(ウイスキー史)

1494年、スコットランド王室財務係の文書に、「修道士ジョン・コーに8ボルの麦芽を与えてアクアヴィテを造らしむ」という記録があり、麦芽を使用したウイスキーの最古の記録ということで、この年がウイスキー元年と言われています。
しかし、記録に残っていないだけでそれ以前からウイスキーは造られていたと考えられています。
また、その前年の1493年に当時のスコットランド王のジェームズ4世がアイラ島を攻め滅ぼしています。
ウイスキーの蒸留技術は、アイルランドからアイラ島を経由してスコットランド本土に伝わったとされる説が有力で、1494年の記録の前年にアイラ島を占領しているということで、アイラ島からウイスキーの蒸留のノウハウを何かしらの形で吸収したのではないかと私は考えています。

その後、1707年にスコットランドはイングランドに併合され、それに反発した反乱運動のジャコバイトの反乱が発生、1746年のかローデンムーアの戦いでスコットランド側の勢力のジャコバイトが敗北したことにより、イングランドはスコットランドの支配を強めます。その際にウイスキーへの課税が多くされたことにより密造酒が多く作られるようになります。

大きな転換点が1822年のイングランド王ジョージ4世がスコットランドを訪問し、その当時密造酒だったグレンリベットを飲みたいと言ってしまったこと。王様が飲むものが密造というのは良くないということで、1823年に酒税法が大幅に緩和されて、1824年にグレンリベットが政府公認第一号蒸留所になります。

次の転換点は、1831年にアイルランド人のイーニアス・コフィーが連続式蒸留機を発明し、蒸留酒の生産効率が一気に上がったことです。

1853年に同一蒸留所内のウイスキーのブレンドが許可され、1860年に他の蒸留所とのブレンドが許可されます。
それまでのウイスキーは1樽ごとに味が違い品質が安定しなかったのですが、ブレンドすることで品質を安定化させることが可能になることから、ブレンデッドウイスキーが一気に隆盛します。

その後、ブレンドによる自社の味を追求する多くの野心家たちにより多くのブレンデッドウイスキーが誕生します。バランタイン、ジョニーウォーカー、ホワイトホース、デュワーズなど、聞いたことのあるブランドも多いかと思いますが、この時期に誕生しました。

1877年にぶどうの木に宿る寄生虫、フィロキセラによりワインが不作となったことから、一気にウイスキーのニーズが高まります。

また、連続式蒸留機を使用したウイスキーをブレンドしたものはウイスキーではないと主張する業者と、連続式蒸留機を使用したブレンデッドウイスキーを作っている業者とでの裁判、いわゆるウイスキー論争が、1906年に決着。連続式蒸留機を使用したものでもウイスキーとする判決が出ます。
ウイスキー業者最大手の DCL が酵母の供給を止めると圧力をかけたと言われ、この当時第一次世界大戦の危機が迫っている状態で、消毒用アルコールの製造ができなくなることを意味することから、政治的な判断が大きく影響したと言われています。

その後、第一次世界大戦。第二次世界大戦で多くの蒸留所が閉鎖や操業停止状態になりながらも、戦後に徐々に復活、勢いを取り戻します。

しかし、1970年代の2回にわたるオイルショックにより打撃を受け、1983年〜85年にかけて多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれ、ウイスキー業界最大手のDCLもギネスグループに買収されてしまいます。
ウイスキー産業復活のための手として、これまでブレンデッドウイスキーが主流だったのに対し、シングルモルト、つまり1つの蒸留所の濃く癖の強い味を売りにしたボトルを1987年に販売し始めます。これが非常に好評となり、現在に続くシングルモルトブームのきっかけになります。

現在も順調にウイスキーの販売が伸びており、2015年以降、新規の蒸留所の開業が増え、さらなるウイスキーブームの到来と言われています。

 

というような内容は、ウイスキーコニサー資格試験の勉強などをしていると必ず通る道です。
今回は写真の教本を頼りにご紹介しました。
資格試験に興味のある方、色々アドバイスできるかと思いますのでお声がけください。

次は、スコットランドの各地域の特徴などを書いてみようかと思います。

 

Wataru Kobayashi  小林渉

Vision  Whisky bar 吉祥寺
0422-20-2023
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